本稿は、中小企業AI研修教育研究所 所長・清水圭一による論考記事です。これまで200社以上のAI導入支援、年間50回・累計500回を超える企業講演で接してきた中小企業の経営者・現場の声をもとに、筆者個人の見解を述べます。
経済産業省をはじめとする政府機関は、AI活用に関するガイドライン、報告書、指針を次々と打ち出している。内容としては、総じて良く書けていると私も評価している。しかし、それらが中小企業の現場にどれだけ届いているか、と問われれば、答えは「ほとんど届いていない」と言わざるを得ない。
200社以上のAI導入支援現場を歩いてきた立場から、本稿では率直に「制度と現場の乖離」について述べたい。霞が関で働く方々には耳の痛い話も含まれるが、これは批判のための批判ではなく、中小企業支援が実効性を持つための提言である。
ガイドラインが中小企業に届かない構造
経産省や関連機関が発表するAI関連ガイドラインには、3つの構造的問題がある。
第1に、ドキュメントが長すぎて読めない。ある代表的なAI活用ガイドラインは本文だけで100ページを超える。中小企業の経営者で、この分量を読む時間がある人はほぼいない。「2〜3ページの要約版」はあるが、それも官僚的な文体で、結局何をすべきかが明確に伝わらない。
第2に、抽象度が高すぎて実務に落とせない。「AIガバナンスを確立する」「リスクアセスメントを実施する」「責任ある利用を推進する」――こうした抽象的指針は正しいが、従業員20名の会社の経営者が「では明日から何をすればいいのか」という問いに答えてくれない。結果、読んでも行動が変わらない。
第3に、想定読者が大企業・大組織に寄りすぎている。多くのガイドラインは、「AIガバナンス委員会」「AI倫理責任者」「AIリスク管理体制」といった組織構造を前提にしている。これらは従業員1,000人以上の企業なら設置可能だが、中小企業では現実的ではない。中小企業の経営者が「うちにはAI倫理責任者を置く余裕はない」と感じた瞬間、そのガイドライン全体が「うちには関係ない話」と見做されてしまう。
補助金制度の実態
IT導入補助金、ものづくり補助金、事業再構築補助金、小規模事業者持続化補助金――これらの制度には、AI導入費用も対象として含まれる。政策としての意図は素晴らしい。しかし、現場では制度の副作用のほうが目立っている。
最も深刻な副作用は、「補助金が使えるツールを導入する」ことが目的化していることだ。本来は「自社の課題解決に最適なツールを選び、補助金が使えるなら使う」であるべき判断順序が、逆転している。補助金対象ツールのカタログを見て、そこから選ぶ。対象外の月額サブスクサービスが自社に最適でも、「補助金が出ないなら」と選ばれない。制度が中小企業の主体的な判断を歪めている。
第2の副作用は、補助金申請支援コンサルの存在である。補助金制度は申請書類が複雑で、多くの中小企業は自前で申請できない。そこを埋めるのが申請支援コンサルだが、彼らの報酬は「補助金が下りた額の10〜20%」という成功報酬型が多い。このインセンティブ構造の結果、補助金額が大きいほどコンサルが儲かる。自ずとコンサルは「大きな補助金申請ができる大規模提案」を中小企業に勧めることになる。
結果、月3,000円のChatGPT Plusで十分解決できる課題に対して、数百万円のカスタムAIシステムが提案され、半額が補助金で賄われる。補助金制度が本来目指した「中小企業のDX推進」から、「過剰投資の助成」にすり替わっているケースが後を絶たない。
現場で何が起きているか
霞が関と現場の乖離を最もよく表すのが、以下のような現場の声である。
「AI活用推進のセミナーを地方の商工会議所で開催しました。参加者は経産省のガイドラインを知っていましたか?誰も知りませんでした。」
「補助金を使ってAI導入した企業の半年後の使用状況を調査したら、導入時に想定した業務で実際に使われているのは全体の2割でした。」
「経産省主催のAI活用事例発表会では、年商数百億の中堅企業が「従業員50名の部門での活用事例」として紹介されていました。従業員全体50名の中小企業にとっては、まったく参考になりません。」
こうした現場の声は、霞が関の担当者にどれだけ届いているだろうか。政策形成プロセスに、実際に中小企業のAI導入を日々支援している実務家の声がどれだけ反映されているだろうか。
政策が実効性を持つための3つの提言
批判だけで終わらせたくないので、現場を知る立場から3つの具体的提言を記す。
第1に、ガイドラインを「5ページ版」「1ページ版」で出し直すべきである。100ページの本格版は大企業向けに残して良いが、中小企業向けには思い切った要約が必要だ。理想は「A4 1枚で読める、経営者が即行動できる指針」である。文章は官僚文体ではなく、平易な日本語で。
第2に、補助金制度の見直しである。月額サブスクリプション型のAIサービス費用も補助対象にする(現状は一時的な導入費用が中心)。同時に、補助金申請支援コンサルへの成功報酬規制(上限設定)を導入する。現状の青天井のインセンティブ構造が、過剰提案の温床になっている。
第3に、政策決定プロセスへの現場実務家の恒常的参画である。有識者会議には多くの教授、大企業経営者、大手コンサルティング会社の代表が参加するが、「中小企業のAI導入支援を日常的に行っている実務家」の参加は限定的だ。現場の声を反映する制度設計には、現場に毎日立っている人間の参加が不可欠である。
政策を待たず、自力で進む
最後に、中小企業経営者の皆様へのメッセージを記したい。
本稿で政策の問題点を指摘したが、現実として政策が変わるには時間がかかる。その間、皆様のビジネスは待ってくれない。だからこそ申し上げたいのは、「政策やガイドラインを待たず、自社の判断で進めてください」ということだ。
AI活用で成果を出している中小企業は、ほぼ例外なく経産省のガイドラインを読む前に、ChatGPTを経営者自身が触っている。政策を参考にするのは、自社の取り組みが進んでからで十分である。
政策はあくまで補完物であり、主役は現場の企業・経営者である。この順序を忘れなければ、中小企業は政策の遅れに振り回されることなく、自社のペースでAI活用を進められる。
本稿へのご意見・ご批判は、当社お問合せ窓口より歓迎する。政策関係者からの反論・対話提案も歓迎する。
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